1952年生まれ/佐渡市出身
●漁業種類:かにかご漁
●佐渡漁業協同組合 赤泊支所所属属
●弥吉丸
自分は長男で高校も水産学校でしたので他の選択肢は考えられませんでした。自分が小学6年生の時に、漁師だった父がえびかご漁を始めました。その後イカ釣り漁を行い、約50年くらい前からカニかご漁を始めました。獲ったベニズワイガニの直売を行っており以前は小さな直売所でしたが、茹で場が古くなったので新しく立て直しました。今の直売所も30年くらい経ちます。
高校を卒業してすぐ漁師になったので50年以上ですね。
印象に残っている出来事は昔、北朝鮮と韓国の大きな船に漁場を締められてしまったことですね。暫定水域でこっちに海外の船がやってきたわけです。共存したかったけれど、やっぱり大きい船には負けてしまう。この時代は今と違ってしっかりと協定が結ばれていなかったので1、2年もすると漁場からカニがいなくなってしまいました。
あの頃は本当に壊滅的でしたね。うちはナンバンエビやスルメイカもとっていて、カニが主力じゃなかったからまだよかったんですが…それでも、5年くらい我慢しましたね。それくらい経つと少しずつカニがとれるようになりました。
これならもう少し我慢すれば元に戻るんじゃないか?と思いましたが、結局は7?10年程かかったように思います。しっかりと協定が結ばれて領域が決まり、相手もそれを守るようになったのが大きいですね。
それと同時に深いところにいたカニが上がってきたのもあると思うし、カニの成長が早いのも理由のひとつかもしれません。
小さいカニは水深1500~2000mくらいにいて、大きいカニは小さいカニに餌場を譲るために上がってくるんです。子供が優先なのは動物界においても共通のことなんですね。
お客様にカニを届けることがやりがいです。注文が来て、それを届けられるのが嬉しい。
お正月はとくにそうですね、自分はそれが生きがいです。
人材の確保が大変です。それでも現在、少ずつ確保できているのでありがたいです。
それと、海難事故が怖いですね。乗組員が落水し、救助出来なかったことがありました。油断は禁物です。基本の約束事を守らないと大きい事故に繋がるというのを痛感しています。
真面目に仕事をしてくれればいいと思っています。能力は関係ないですね。
自分は船酔いがひどくて1年くらい全く仕事になりませんでした。でもある日、嘔吐して腰を抜かして親父に背負われて陸に上がった翌日から不思議と平気になりました。
これはよくある話で、行くとこまで行くと船酔いをしなくなるようです。多くの人が船酔いで断念してしまいますが、経験上1週間我慢できた人で辞めた人はいません。
海難事故の時ですね。「断念しよう」と、思いました。でもお客様から色々と言葉をもらって続ける決心をしましたが、あの事故を忘れることはありません。
うちは自分でとって自分で値段を管理して販売しているので安定していると思います。日本全体で見てもカニ漁は安定していると思います。時化の時は無理をしないでちゃんと休みをとるようにしてからは体もだいぶ楽になりましたし。
カニをとった次の日には店のカニは売れて無くなるけれど、調整しながらとっています。
船の数が減っている分、1隻でとれるカニの漁が増えているのが現状ですね。


漁師間では暗黙の了解のようなものがあって「ここに行くと○○丸の道具や網がある」と、把握しながらお互い漁をしています。1年に1回、交流会もありますよ。
足を広げて120cmは超えるカニがとれました。今まで見た中で最大級で自分も驚きました。
今年(2025年)はカニが大きい印象なので、海に栄養源がたくさんあるということでしょうね。
カニは1回の脱皮で自身の大きさの3分の1は大きくなり、大きいカニは1年に1回脱皮をします。栄養状態が悪いとしません。
そして脱皮したばかりのカニは身入りが悪いので、脱皮している頃はとらないようにしています。
カニ料理ですね。色んなメニューを考えて作るのが楽しいです。みんなが「美味しい」と言って食べてくれるのを見るのも嬉しいです。
夜釣り好きなので休みの晩は夜釣りに行けることです。1、2月は漁の休みが多いので寒ブリを釣ったりしています。
仕事に慣れた実感が湧いたときですね。21歳の時に父親が陸に上がり、引き継いでイカ漁の1隻を任せられたんです。この時も「一丁前になった」と、思いました。